喜んでもらうこと

今年7月に男の子が生まれました。

「子供は会話が出来ないから」と、これまで子供に対してあまり関心がなく、特に好きでも嫌いでもありませんでした。今の子供が生まれた瞬間は、もちろん嬉しかったけど、どちらかと言うと「安心した」という気持ちが強かった。正直に言うと、「何か障害があったらどうしよう」、「自分の時間がなくなる」でも「それはそれでどうにかする!」と、勝手に葛藤しならが生まれるのを待っていた。

どんな状態で産まれてくるかが気になっていたことからの安堵感。

第一子が1週間で亡くなってしまった事もあるけど、結局は自分の事を中心に考えていた。

子供は今、2か月が経ち、目の前で気持ちよさそうにスヤスヤ寝ています。

赤ちゃんは3時間ごとにミルクをあげる必要があり、また、泣くのをあやしたり、おむつを変えたり、たくさんお世話が必要な事を実感。今は仕事をしていない事もあり、連続して睡眠時間を取る(一人の時間を作る)為、昼は奥さん、夜は僕が見るという生活を送っている。

僕は一人が好きで、最近仕事も辞めて他人と接する事を極力避けており、家族以外はほとんど連絡を取っていない。

以前に、「作られた「聞き上手」」という記事を書いたけど、

人に喜んでもらう = 自分が良い人に思われる = 我慢が自分のストレスになる

いつの間にかそんな人間になっていて、

それがいつしか「人とは身勝手な生き物」と考えるようになり、人と関わりを持たないようになっていった。

人と無理に関わっていた自分、タイトルの「喜んでもらうこと」は、結局「自分の為」だったんだなと思う。自分で自分を追い込んでいる事も気づかずに。


ふと、youtubeでこんな動画を見つけた。

涙なくして見られない youtube - Bing video www.bing.com


思わず泣いてしまった。

男性が子供を亡くしてドナーとなり心臓を提供した。移植患者は、心臓の鼓動を録音した熊のぬいぐるみを送ってくれたエピソード。

愛犬を亡くし悲しみに打ちひしがれていた父親の為に、娘が用意していたプレゼント。など。

人が嫌になり、極力人と関わりをもたず過ごしてきたけど、この動画を観て感じた事は「人は無償で喜びを与える事が出来る。」と思ったこと。

「自分の心に余裕を持つことで人に喜びを与える事が出来る」と思っていたけど、それだけではないことに気付かされた。

今の僕にとって、とても心に響いた動画だった。

自分の殻に閉じこもっているだけでなく、まずは身近な家族へ出来る事をやってみたいと思う。ちょっと照れくさいけど、頑張らず、喜んでもらえる事をやってみようと思います。

与えるより、もらっている事の方が多いなぁ。

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