30年後のいじめの記憶

 「いじめ」は誰しも加害者、被害者いずれかの経験があると思う。
先日退職してから1か月が過ぎ、現在心の状態は良く、日々前向きに過ごせているので、ふと良い機会だと思い、時折思い出す「いじめの記憶」に今回触れてみようと思います。
少し気持ちに余裕が出てきた事が大きく、改めて「日々やりたい事を実行」してストレスを溜めず、心にゆとりを持って過ごす事は本当に大切だと思っています。
せっかく書くので正直に記録していこうと思います。

僕は被害者、加害者のいずれの立場も経験があります。
記憶の大半は被害者だけど、加害者側だったと思うこともあり、僕は両方の立場を経験していて、そのいじめの経験の多くは学生時代の経験です。

どこまでがいじめなのかについては人によって違うと思いますが、いじめを経験して30年経った僕の今思う気持ちを綴ります。

被害者の立場で思う事

 結論から言えば30年たった今でも加害者の顔やおおよそ声も覚えており、思い出すと怒りと悔しさで全身から汗が滲んできます。
高校を卒業して地元から出た事もあり、加害者とは30年間一度も再会したことはありませんが、こうして未だに記憶に残っている。

いじめの記憶の多くは学生の中でも中学生の頃。・・・ぼんやり曖昧な部分もあるので思い出しながら。

【水中に頭を押さえて沈められる】
中学生の頃、印象に残っているのはプールの授業。おおよそ脇下の位置に水面があった比較的深めのプール。生徒みんなで入水して遊ぶ自由時間の時、突然水中に頭を押さえつけて沈められる。突然なので息を吸い込んでいない状態の為、水が大量に口に入ってきてとても苦しい。苦しいけど声が出せない。周りは騒いでいるので、おそらく傍から見れば仲良く遊んでいるように見えている程度なんだと思う。面白がられている為これは続く。一瞬水中から顔を出せた時の加害者の顔は笑っていた記憶。夏は授業の一環なのでその時だけでなく何度もあるわけで、都度同じような事があり、ある時、苦しい感情が思い出され嫌になり、逃げる本能が働いたのか、何らかの理由を付けて休むようになり、一人だったか、プールに入る前の腰までつかる消毒を終えた後、プールサイドで座って見学していた。なんでこんな事をされているのかわからず苦しんだ
この経験があるからか、時々見る同じようなニュースで命を落とした話題を目にすると、居たたまれない気持ちになり、一歩間違えれば僕も命を落としていたかもしれないと思うとぞっとする。

【金銭の支払い】
また、もう一つ記憶にあるのは、一部のクラスメートから服を買っていたこと。買わされたというより買っていた記憶なので、比較的一緒にいた数名のグループ内でのやり取りで、なおかつオシャレがあまりわかっていなかったから、今思えば良いように言われていたからだと思う。あいつなら買うと思われていたのか、覚えているシーンは、休み時間の合間で、日中の教室のベランダに呼ばれて、古着と称して表に右側だけ縦のラインが入った水色の薄手のライダースのような作りの上着を1,000円冊3枚を手渡して買っていた。それ以外にもTシャツとかチノパンとか何着か買ってたな。「その場で着替えてみて」とかも言われてたな。「買え」というわかりやすいものではなく、表面化しない方法で買わされていた印象。その時浮かぶ顔は、その当人もだけど、同じグループ内にいて、僕を見る時いつもニヤニヤしていたオオ〇タの顔。おおちゃんと呼んでいたかな。

【脅し、暴力】
卓球部に所属していたけど、たぶんつまらなくて半年で辞めた為、その後、特に部活には入らず、誘いのあった趣味で集まっているサッカーチームに参加。学校が終わってからだったから時間帯は夕方から、帰るころには暗くなっており、週2日程度参加。その中に他のクラスの空手経験者だった生徒がいて、なんて言われたか覚えてないけど、何か暴力的な言葉を言われたり、脅して蹴る所作や、殴ろうとする動きをされたり(実際にも少し殴打は受けていたと思う)と、これは怖かった記憶。タ〇ウチ。下の名前のあだ名でいっちゃんと読んでいたかな。

【社会人での記憶】
学生だけでなく、社会人でもいくつか思い出がある。
その中の一つに、当時、営業職だった事もあり成績には非常に厳しい会社におり、今でこそコロナ過で失速するも、業界大手の会社で全国に事業所があり、各事業所間での競争も熾烈で顧客獲得は必須だった。そこで結局12年勤めたけど、中でも印象に残っているのは、僕が中途入社して2年後に異動した事業所の上司の”女帝”。この方の言う事は絶対。サービス業でも特に毎週末は多忙を極める環境の職場で、食事はとれなかった事がほとんどだけど、食事が取れた場合は10~15分程度で、かきこんですぐに現場へゴー。時には職場の隣にあるコンビニにダッシュでおにぎりなど買いに行き、事務所で流し込む。

そんな中、ある日”女帝”からの指示がある。営業成績に波があった僕は、これが気に入らなかったのか、ある日コンビニで買ってきた「牛丼」を見るなり、「今、その牛丼を魅力的に語ってみろ、出来るまで食べるな」という指示をされました。
伝える時は、その上司のデスクへ行き、お伺いを立て、片膝をついて跪(ひざまず)き伝えなければならない。

・・・これ・・・犬扱いだな。


成績の悪かった自分の責任であること、「無形の価値を語る」事が商品価値を高めるセールストークの根幹だった事もあり、「どんなものでも魅力的に見せる事の意図」は察するけど、でもわずか10分程度の貴重な時間下でやらなければならなかった事とは思えない。

その後、この「指導」は3ヶ月間、毎週末続いた。

その時はその世界が全てであり、それが当たり前だと思って過ごしていたから恐ろしい。完全に洗脳されていたと思う。

ある年、その年の事業所の全体目標件数にわずか1件届かず、毎年恒例だった忘年会を協力会社も交えて行った際、協力会社のスタッフへ半ば強引に契約させ、その場で申込金10万円を口座から下ろさせたこともあった。

”女帝”下で3年を過ごし、その後、部署移動になり、途中、その上司も辞めた為、関わりはなくなったけど、この人が居続けば心を壊していたと思う。

先日、突然10年ぶりにその上司からLineで連絡があった。見た瞬間記憶が蘇り汗が噴き出した。どこからLineを知ったのか知らないけど、どうやら内容は会社を立ち上げたので週末だけでいいから手伝って欲しいと言う事だった。
当然働く気はないので丁重に断った。連絡してきたのは、人手に困っていて、使えそうだからと安易な考えだったと思うけど、当時、仕打ちを受けた側からすれば、そんな人間と働くわけないとは思わなかったのかと理解できなかった。もう、会うこともないけど、二度と連絡して来ないで欲しいと思う。

加害者の立場で思う事

小学生の頃、そろばん教室に通っており、いつも席の前にいた太った男の子の背中を後ろから数日に渡ってシャーペンの先で複数回つつき、背中にたくさんの傷跡を残してしまった事がある。被害者のご両親から教室へクレームが入り大きな問題になり指導を受けた。教室内だけで治まったのか、親にまで話がいったのかは曖昧だけど、その時の気持ちは、「反抗されることが気に入らなかった」ということ。
なぜ、いじめたのかと、その時の感情を思い起こして見ると、嫌がる事を見て嬉しいという感情でなく、特に「自分よりも弱いと思われる相手」の「反抗する態度が気に入らない」という感情。

そして、その時、相手がどういう気持ちでいたのかは一切考えていなかったと言う事。
僕がいじめられていた時の場合は、あまり反抗せず(少し抵抗はしていたと思う)、たぶん嫌だけど笑っていたのかな、言い返したり、やり返さなかったから、面白がられていじめられていたんだと思うけど、共通するのは、加害者側の多くは相手の気持ちを考えられていない。痛みを経験していないから分からないということ。
ちなみに、つついて傷を残した事が原因かわからないけど、スーパーやコンビニなど、陳列された商品を刺している銀色の金具や、机の角などをあまり直視出来ない。軽度の先端恐怖症だと思う。目を覆いたくなる。
これはおそらく、僕が相手を傷つけてしまった事への罰なんだろうなと思っている。

ではどうすればよかったのか

いじめられないようにするにはどうすればよかったのか。

どうにもならなかった。が答えだと思う。

今は戦って勝つべきだと絶対的に思うし、30年経った今、片隅でも嫌な気持ちを持ち続けている事が分かっているのであれば、絶対にその時に解決出来ていた方がいいに決まっているけど、視野の狭い世界で生きていた僕にとっては逃げ場がなかった。
親には言えなかった。親に心配をかけたくなかった為、親の前でも明るくふるまっていた記憶。おそらく学校に行かなくて良いという選択肢がなかったんだと思う。

でも、それでも当時の自分に伝えたい。

「何が何でもやり返せ!」

殴ってでも、言い返してでもいい。言い返す言葉が出てこなければ「わー!」でも「あーー!」でもなんでもいい。恐れずまずやる!!

結局、これから生きていくのも自分、問題解決できるのも自分だけだ。

それでも感情を表に出せない人もいる。「それができればやっているよ」と。

その場合はすぐに辞めればいい

やめて留学でも不登校になってもなんでもいいので、その学校に行かない。行きたくない場所に無理に行く必要はない。自分なりに頑張っても行きたくない場所に行っても意味がない。

世界は広く、楽しい事はたくさんある

行動すると「あれ、こんなもんだったの」とか、「自分にも出来た」と思える経験がある。

まとめ

トップのイラストは僕が描いたものだけど、いまだに残る怒りの感情を表現したもの。

30年経っても、いじめられた記憶は残っていると言う事。

でも、いじめはなくならないと思う。

だからこそ、視野を広く持って、情報を探して、立ち向かう方法、または逃げる方法を見つけて活路を見出す。

なんだかんだで、人に助けられてきた人生。


他人を意識し過ぎて疲れてしまい、自分の事ばかりだけど、困っている人がいれば全力で力になれるような視野を広く持てる人間になる。

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