作られた「聞き上手」

以前投稿したブログで、「世界一「やりたいこと」の見つけ方」を読み進めており、いよいよ終盤を迎えています。

私は、難しい話になってくると、すぐ眠くなってしまい、そんな時は開き直って本を置き、まぶたが下がるまま、心の向くまま一度寝て、そして再開するを繰り返し完読を目指します笑 実はこの本も途中眠くなってスピードダウンしてしまったのですが、後半は巻き返しをはかり、興味の沸く内容が続き、ペースアップして読み進める事が出来ています。難しいなと思った時は、同書を「中田敦彦のyouTube大学」で紹介されているので、平行して見ると飽きずに理解ができ、なお良いと思いました。

読み進める中で、気づいた事は

「実は自分は人が苦手なんじゃないか」

と言う事です。

これは、はっとわれに返ったというか、ショックだったというのか、私はこれまで10年以上、サービス業という人に関わる仕事を続けてきており、人が好きで、人と話すのが得意と思い込んで仕事をしてきました。

前回のブログでも書いたのですが、先日、今の会社を退職する決断をしました。

退職理由は、「成長がない」「やりがいがない」そして「人に関わる事に疲れてしまった事」です。

人と話している時、良い自分を「演じて」おり、相手の話を聞くことを優先して、間違っていると思った事でも、否定せず、聞く側に徹する事が多い人格となっており、「人は自分勝手な生き物でうんざりする」と心の中で思っている自分との乖離に苦しいと感じてしまっています。

この本をきっかけに、この動機を考える文言があった為、良い機会だと思い、なぜ僕は、「こんなに人を気にして生きているんだろう」と疑問を持ち考えてみました。

「価値観」を探る工程の一つに、「思春期にあった影響の大きい経験は?」という問いがあります。

思春期と言えば、小、中、高と学生生活が思い浮かび、本書や動画では、「楽しかった」というポジティブな事が語られていましたが、私の場合、ぱっと出てくるものがありませんでした。もちろん、ある程度楽しい思い出はあったのですが平均して楽しいと思える学生生活ではなかったのだと思います。

「なぜ、楽しい思い出ではなかったのか」を考えてみました。

いじめにあったり またはそれに近い事をされた経験がある → その時自分は、何もしない、あるいは笑っていた記憶 → 本能的に傷つきたくないと思う → 意見されない為に自分の意見を言わず話を聞く → 本当は違うと思っていても、自分を押し殺している → 真剣な話の途中ふざけてしまうことがある → 相手の機嫌を伺い笑わせないといけないと思う → 疲れる → 人に関わりたくないと思う

といった課程があるのだと気づきました。

正確には、既に気づいていたのに、知られないように「蓋をしていた」のだと思います。 

実は、これまで何十年と、根本的にこのような生活を続けてきました。ここ数年、心の疲労がある事に気付いていましたが、周りを意識し、そして自分は弱くないと言い聞かせ、心に蓋をした生活を続けきました。

・・・これを書いている間も、心が締め付けられるような気持になります。

今の自分は、「取り繕った自分」である為「楽しい人」「良い人」「面白い人」と、良い印象を持たれる事が多いのですが、実は我慢をしている「仮面をかぶった人」なのです。

でも、自らのテーマである「楽しい人生」を達成する為には、自らを肯定してあげなければなりません。

本書に「だから」を「だからこそ」に変えるという一文があります。

これまで人を意識することばかり考え苦しいと感じてきた。それに気づいた。だからこそ、「もっと自分に正直に自由に生きよう!」と前向きに変換していきたい。

人に知られたくない過去は誰だってあると思います。でも、せめて自分には偽らず過去を振り返って殻を破って前へ進む。

無駄な時間を過ごしたくありません。どうせ同じ時間を過ごすなら楽しい時間を過ごした方が良いに決まっています。

著書の一文に「何が成功なのか」とあり、それは

「自分らしく生きられれば、その時点で成功です。」

と書かれています。

その通りだなと思います。

本書を通じて「自己理解」を深め、「楽しい人生を送るため」にしっかり向き合って行動していきたいと思います。

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